自閉症とは・・かつては「わがままな子」とか「独りぼっちでテレビを見過ぎるとこうなる」などと言われていた時代がありました。
また、自閉症という名前から、「自らを閉ざす病気」と言われた時代も長く続きました。今では自閉症は「先天的な脳の障害」として認知されるようになってきています。
自閉症の特徴
「三つ組み」と言われる自閉症の特徴があります。
・社会性の障害(対人関係をうまく築けない)
・コミュニケーションの障害(言葉の発達の遅れや偏り)
・想像力と行動の障害(関心の対象の狭さや偏り、こだわり行動)
自閉症が脳の障害と認められず、「わがままな子」「不可解な子」「困った子」として扱われていた時代には、
なぜこの子は他の友達と遊ぼうとしないのか?
なぜこの子は物覚えだけは良いのか?
なぜこの子は単語だけでの会話しかしないのか?
親でもまったく理解ができませんでした。
一つのことに執着し、それを成し遂げるまでは執拗に追い回す。それが達成されれば納得、達成されなければ癇癪を起し大暴れ、そんな時には本人を抱きしめてその動きを封じ込めるしか方法がありませんでした。
ティーチの考え方
アメリカのノースキャロライナ大学が、自閉症の方と相対する家族や学校の先生の接し方を整理し発表しました。日本に伝わったのは今から25年ほど前のことです。
ティーチ(TEACCH:Treatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Children)と名付けられたそのプログラムによって、家族たちは自閉症の世界を知り、その障害特性や彼らの文化に逆らわず、お互いが自然に存在しあえる方法を得るに至りました。
ティーチの考え方の中に「構造化」というものがあります。耳からの情報よりも目からの情報の方が自閉症の人にとっては理解が得られやすいということをヒントに、彼らの日常を「見える化」してあげるのです。
例えば、一日のスケジュールを時間に従って上から下、又は左から右へと文字や写真で見えるようにします。
10時から11時までのお絵かきの時間が終わったらその文字や写真のプレートを外します。
11時から12時までの折り紙の時間が終わったらまた外します。
午前中のプレートが全部なくなったらお昼ごはん、というように、自分自身が一日の時間軸の中のどの位置にいるのか?が見て分かるようにします。
自閉症の人は、「時間」とか「午前中」とか「一日」といった抽象的・曖昧な事柄を理解していくことが難しい場合が多いため、スケジュール表を目で見て理解していけるようにしていくのです。
日常の会話にも気を付けます。「ちょっと待ってください」の「ちょっと」、「あっちに行ってください」の「あっち」は非常に分かりにくい言葉です。「ちょっと」がどれくらいなのか?具体的な数で示します。「あっち」はどこを指すのか?具体的な場所の名前で示します。つまり、「5分待ってください」、「食堂に行ってください」と伝えるようにします。言葉では理解しづらい人の場合には、今から5分後の時間を「1時15分」と書いた紙を渡したり、その時刻を指した時計を見せたりします。食堂の写真を見せ、「ここに行ってください」と伝えます。
空間にも具体性を持たせます。今、折り紙をしていたテーブルで、次に昼食を食べるとなると自分自身が「今何をしているのか?今は何の時間なのか?」が分からなくなって混乱してしまいます。
折り紙は作業室で、昼食は食堂で、と行うことに応じた部屋を用意し、目的ごとに部屋を使い分けることで自分自身をその空間の中で認識することができていきます。
一般の人は、「今は午前中だ。お昼休みまであと1時間あるな。午後はドライブに行く予定だ。5時にここが終わったら今日は早めに帰宅しよう」などと一日のスケジュールを頭で考え見通しを立てます。
「ちょっとと言えば5分くらいかな?まぁ、10分くらい待たされてもいいか」などと考えられたり、「あっちって言われたけどどこだろ。たぶん食堂か会議室あたりだろう」と見当をつけたりします。
自閉症の人は目の前に確実に存在している具体性のある物事には十分な理解を示しますが、目の前にその姿がない物事を理解していくのには難しい場合が多いのです。「バレンタインのチョコレート」は「おいしい食べ物」として十分理解します。
しかし、「そのチョコレートに込めた愛情」の「愛情」には理解が及びません。
エピソード
こんなエピソードがあります。軽度の知的障害と自閉症を併せ持つBさんは養護学校を卒業して、障害のある人たちが仕事をする場(就労継続支援B型施設)で商品としてのお弁当作りをしていました。
蒸しあがったシュウマイをお弁当箱の決められた位置に入れる作業を任されました。正しい位置は写真で示されていました。
100個のお弁当箱と300個のシュウマイを目の前にしたBさんに職員が声を掛けました。「責任を持ってやってね。」と。その言葉を機にBさんの表情が一変しました。目をキョロキョロさせ、手が動きません。
「どうしたらいいんだ?」という表情でただただ立ち尽くしていました。
Bさんはお弁当箱にシュウマイを3つずつ入れる、ということは理解できていました。完成図という意味の写真が目に見える形で目の前にありましたので、Bさんは間違えなくその作業を行えたはずでした。しかし手が動かない・・。
そうです。Bさんは「責任を持って」の「セキニン」が分からなかったのです。
「セキニンってどれだろう?」「シュウマイをお弁当箱に入れるためには、セキニンという物を持ってやらなきゃならないのか?」「そのセキニンってどこにしまってあるんだろう?」Bさんは「セキニンという名の道具」を探している様子でした。たぶん、「トング」とか「フライパン返し」とか、そういう類のキッチン用品の中に「セキニン」という器具があると考えたのでしょう。
明らかに混乱しているBさんに、他の職員が近づきこう伝えました。「あなたの手を使ってシュウマイをお弁当箱の中に入れてください。」と。
とりあえずはセキニンという器具は使わずに手で行なっていいということが分かってホッとした様子で作業を進めました。
シュウマイをすべてお弁当箱に入れ終えてから、職員がこう伝えました。「あなた一人で全部をやり終えることができましたね。よくできました。これが責任を持つということですよ。」と。
「あっ、そういうことかぁ~!」という理解に満ちた反応はありませんでしたが、「責任」という言葉で混乱することもありませんでした。本人なりに腑に落ちた様子でした。
コミュニケーションをとるために
自閉症の人が「我儘な人」「自分勝手な人」と言われていた時代には、こういった出来事があると親や先生や施設の職員は「なんでこんな簡単なことが分かんないんだよ!?」とイライラしていたのかも知れません。
しかしそれは、逆です。
自閉症の人に「なんでこんな具体性のないことを言ってくるんだよ!?」とイライラさせてしまい、その結果、我儘と映ってしまう、自分勝手と思わせてしまう行動をさせてしまってきたのです。
すべては親や先生や施設の職員の無知が原因となって引き起こしてしまってきた悲しいエピソードだったのではないでしょうか?
「責任をもってやって」と伝えると動けなくなる。
自閉症の人は「勝手に仕事をサボる人」ではないんです。「責任」の意味が分からずに混乱して慌ててしまう人なんです。
「ちょっと待って」と伝えても待ってくれない。待てずに暴れてしまう。
自閉症の人は「待てない我儘な人」ではないんです。「ちょっと」の意味が分からずに混乱して慌ててしまう人なんです。
「あっち行って」と伝えるととんでもない所に勝手に行ってしまう。
自閉症の人は「勝手に行ってしまう人」ではないんです。「あっち」がどっちだか分からずに混乱して慌ててしまう人なんです。
自閉症の人がどんな人なのか?を知ること、そして、私たちがどんな点に注意してどんな工夫をしていけばうまくコミュニケーションをとれるのか?ということをしっかりと考え実行していくこと、そうやって自閉症の人の文化を壊さずに、しかも、いわゆる健常と言われる我々の文化や習慣を彼らに押し付けていかないこと、で自閉症の人たちの世界はもっともっと広がっていくはずです。
前回までのトピックス
障害者施設で働くって?
医療・介護ニュース
介護職の転職に関して 第2弾 その4